東光寺について
東光寺の由来
当山の創建は、千百有余年前、天台宗の開祖最澄伝教大師によるもので、大師が諸国をご遍歴になる途中、しばらく当地に留まられ瑠璃殿を建立、医王山東光寺と名づけられたといわれています。現に安置されていますご本尊薬師如来は大師御自ら一刀三拝され、彫刻された霊仏と伝えられています。
寺号の東光寺は東方薬師瑠璃光如来の東光に由来するものです。
東光寺の御朱印
東光寺の沿革
天台宗として創建された当山は、六五〇年ほどして、永正年間(約五〇〇年前)寂光大照禅師(天縦和尚)の法嗣である大宗宗弘和尚(本巣市上之保慈雲寺)が当山を兼務され、諸堂を再建し、あるいは増築され、その後、寂光大照禅師を謹請して開山と仰ぎ、法嗣である岐秀元伯和尚を後継者として慈雲寺へ戻られました。当山が天台宗より禅宗に転じ、しかも法灯を絶やさず今日にいたるのは大宗宗弘和尚の努力の賜であります。
三世岐秀和尚は快川(かいせん)和尚と並び称される絶世の大禅家で諸国から非常に多くの修行者が集まり、寺中に六宇の塔頭(耕月院、円珠院、梅隣院、吟松院、独笑庵、睡足軒)がありました。やがて時の雄将、武田信玄公の母、大井夫人の求めに応じて甲州(今の山梨県)の長全寺に赴かれ春信を信玄と命名したことは有名で、永禄五年(一五六二)まで信玄公の師匠として活躍されました。
五世無門稔和尚のころ(一六〇〇年頃)各地で戦乱がありましたが、救庵産公首座が、時の県主西尾豊後守光教公から境内除租黒印及び五段制札を頂き庇護を受けて復興されました。
その後快伝宗薫和尚が瑞巌寺(揖斐川町瑞岩寺)の二世空山和尚の法を嗣いで当山に入り、十四世覚宗性和尚の時、大野町古川に地蔵寺を末庵として建立されました。十八世当山中興霊海玄妙和尚は十六世起山和尚の遺志を継ぎ本堂を再建されました。現在の本堂が正にこれであり、鐘楼、山門も同じ年代であり約二百年前といわれています。なお当山は現春岳邦隆で第二十五代目です。
歴代和尚
開創 | 天台宗開祖 伝教大師(767-821) |
開祖 | 伝教大師 最澄 |
開山 | 寂光大照禅師(天縦派・天縦宗受) |
二世 | 大宗宗弘禅師 |
三世 | 岐秀元伯和尚 虎哉宗乙和尚(沸海慈雲禅師) 岐秀元伯の徒 |
四世 | 雪岑光巴和尚 |
五世 | 無門紹稔和尚 |
六世 | 救庵産公首座 |
七世 | 徹岩透公首座 |
八世 | 松屋寿公首座 |
九世 | 天麟祖瑞和尚 天麟和尚突然の遷化のため、後継和尚が無くここに天縦派はなくなった。 天縦和尚以来約百五十年の天縦派は断絶した。 |
中興 | 快伝宗薫和尚 小島の瑞巌寺二世空山和尚の嗣子なり。 |
十世 | 別伝宗普和尚 |
十一世 | 祥潭乾瑞首座 |
十二世 | 象峰祖全和尚 |
十三世 | 大熈亮日和尚 |
十四世 | 覚宗惟性和尚 |
十五世 | 願翁法命和尚 |
十六世 | 琢盤玄珠西堂首座 |
十七世 | 起山玄書和尚 |
十八世 | 霊海玄妙和尚 現本堂建立 |
十九世 | 春桑莫大和尚 |
二十世 | 欄叟玄省和尚 |
二十一世 | 春桑莫大和尚 |
二十二世 | 春邦玄資和尚 |
二十三世 | 春応紹隆和尚 |
二十四世 | 春屋紹興和尚 |
二十五世 | 春岳邦隆和尚 |
二十六世 | 大真英隆和尚(現住職) |